台灣好好 日本よりも日本らしく 21

旅行土産話仲間 飯坂彰啓

二二八事件 生き証人の話を聞く




運営者 専売局は戦前は総督府に属していて、塩、酒、阿片、煙草を専売して、総督府の収入の6割以上を生んでいたそうで、国民党政府はそれをそのまま受け継いでいたんでしょうね。原料の農家からの買い取り価格を安くして、役人がポッポに入れるなんてこともやってたみたいですよ。
 役人なんていうのはみんな、大陸からやってきた本省人ですからね。迪化街でやみタバコを売っていた連中は、役人がきたのでみんなクモの子を散らすように逃げたのですが、40歳の女性がひとり、逃げ遅れてその役人に捕まってしまいました。

士林夜市士林夜市 そして売っていたタバコだけではなくて、売り上げた金まで取り上げられてしまったんです。生活難なので、その女性は役人の足にしがみついて、「返してくれ、これじゃ生きていけない」と頼みました。だけど専売局の役人は邪険にそれを振りほどいて、銃床で殴ったので、女性の頭から血が出ました。その血を見て、回りを囲んでいた連中が騒ぎ始めました。

飯坂  当時の大陸の兵士にとって見ると、民衆から金品を強奪するのは生業のひとつといってもよかったでしょうからね。

運営者 そこが日本軍と違うところで。で、6人の役人たちは、どうやら旗色が悪くなったと思って逃げ出しました。そしてある路地に逃げ込んだのですが、群衆に追い詰められてしまいました。身の危険を感じた役人は群衆に向けて発砲したのですが、運の悪いことにひとりを射殺してしまったのです。
 それで大騒ぎになりました。その晩はそれですんだけど、翌朝、この地域の50歳くらいの里長が中心になってデモ隊が組織されました。デモ隊は抗議の旗を立てたリヤカーを引っ張って、太鼓をドンドン叩いて、里長がドラを鳴らしながら、3,40人ほどの若者を連れて、抗議文を手渡すために専売局を目指しました。

 その途中に専売局の分局があったのですが、一部の青年が飛び込んで、そこの2階の窓からたばこを路上に放り投げて、積み上げて焼いてしまいました。それを見た役人たちはあっという間に逃げてしまいました。

 蕭さんは、勤めていた新聞社がデモ隊のコースの近くにあって、2階で寝ていると何か太鼓の音が聞こえてきたので、「取材しなきゃ」と思ってデモ隊にくっついて回ったのだそうです。
 そこからデモ隊はこの放送局にやってきて、簡単に占拠してしまいました。そしてマイクを取り上げて、「専売局の役人が昨日人を殺した。われわれは国民党政府を受け入れたけれども、国民党政府はわれわれのことを同胞と言いながら不正な政府だった。汚職ばかりしていて台湾をきちんと治めるという誠意がない。日本の統治時代より今はひどいじゃないか、ストライキをしよう」とここから全国に放送してしまったわけです。

飯坂  この放送は日本語で行われたようですね。

運営者 台湾人は日本語を理解できるけど、国民党は理解できませんからね。
 その後デモ隊は専売局に行くわけですが、分局が焼き打ちされていることが既に伝わっているので、みんな逃げてしまって誰もいなくなってしまいました。ただひとりだけ国民党軍の少将が本局で立って待っていたんですが、その人では話にならないので、蕭さんが、「行政長官府にオレが連れて行ってやる」とデモ隊を先導して、行政長官府に連れていったそうなんです。このころにはデモ隊はかなりの人数にふくれあがっていたらしい。

 そして長官府の前で抗議をしていたら、3階の窓からいきなり射撃をされて何人かデモ隊の人が死んでしまいました。それでデモ隊は「中国から来た連中が人を殺した、人殺し!」と言いながら台北駅の方に走ってバラバラになってしまいました。
 これが2月28日に起こったことです。

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