台灣好好 日本よりも日本らしく 19

旅行土産話仲間 飯坂彰啓

犬が去って、豚が来た

台湾民主紀念館

運営者 それから中正というのは蒋介石の雅号なんですけれど、中正紀念堂というバカみたいに大きな高さ70メートルのモニュメントがあるんです。その中正記念堂を、名前を変えて格下げしようと問題にされていました。つまり国民党がそのようにふんぞり返っているのはまずいのではないのかということなんでしょうね。結局この5月になって、「台湾民主紀念館」という、実態と乖離のある名前に改称されています。

飯坂  総統選挙までに何とかしたと。

運営者 それは彼らにとっては大切なことなのかもしれません。
 国民党=国ではないということですよ。

飯坂  確かに、自民党=日本なんて誰も思ってないもんね。まあ地方には、昔の殿様が現職の知事や市長だったりするところはあるけどね。秋田県とか彦根市とか細川時代の熊本県とか。それだって殿様の領地だなんて思ってる人はまずいないよ。

運営者 中国が共産党の一党支配であるように、僕が感じるのは、台湾の政治体制も中国の政治形態と非常に似通っているということです。これは、国民党も中国共産党も、ロシア革命の影響を強く受けていることに原因があるんでしょうね。

飯坂  もともと皇帝がすべてを支配する国だったし、それから抜けられなかったんでしょう。

孫文孫文運営者 他の概念を知りませんからね。孫文はそこから抜け出そうと、いろいろなものを輸入しようとしたんだけれど、途中で病気で死んでしまったし。

飯坂  袁世凱に帝国をつくらせなかっただけでも、まぁ良しとしなきゃ。袁王朝になってたら中国はさらに150年停滞してしまったかもしれないよ。

運営者 それで1949年12月に松山機場という、台北の街の中にある飛行場に蒋介石と宋美齢が降り立ちます。その頃、松山飛行場には戦闘機があったのですが、国民党はそれを溶かして日用品をつくるために売り払ってしまったらしいんですね。「これじゃ共産党に負けるのは当たり前だよね」と台湾人は思ったわけですよ。
 つまり国民党のレベルというのはその程度のものだったんですね。

飯坂  (笑) 共産党が勝てたのも、日本軍から武器を奪ったからであって、それまではただのゲリラだったんだから。

運営者 つまり中国というのはそういう国だったということです。
 要するに台湾の人たちは、日本から50年間にわたって文化を移植されていって、それまでに世界水準の文化を持つ国になっていたんですよ。ところがそこにやってきた国民党というのは、言ってみれば野蛮人であったということです。まあ、魯迅を読めばねえ・・・。

飯坂  ほとんど浮浪者のようなものだったかもしれないね。

運営者 文化水準も低かったんです。そういう現実があったんだけど、台湾の人たちは国民党が来るまではそれが分からなかったわけです。
 彼らがやってきてからいろんなことがあったそうです。
 例えば一挙に物価が上がりました。400倍になったそうです。それはなぜかというと、国民党は国共戦争のために台湾でとれたコメをどんどん大陸に持っていってしまったからです。それで1日に2~3回値札を付け替えなければならないという状況になりました。

飯坂  それは日本よりひどいね。

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