台灣好好 日本よりも日本らしく 8

旅行土産話仲間 飯坂彰啓

台湾小史 発見から日本統治まで



運営者 次に、台湾の歴史に話を移したいんですけどね。
 台湾が世界に最初に認知されたのは、1543年にポルトガル人が種子島に鉄砲を伝えた帰りに、台湾を発見して、「こういうところに島があったのか」と。

飯坂  「結構でかい島を見つけたぞ」と。

運営者 それが最初だったんです。この時ポルトガル人は台湾を見て「フォルモサ(Formosa=麗しい島)」と言ったのだそうです。この言い方を彼らは踏襲していて、台湾独立派の人たちの標語になったりしています。

飯坂  「美しい国」とは違って歴史の裏づけがあるわけですね。

運営者 「国柄」や品格とも違ってね(笑)。重要なのは、台湾海峡に黒潮が流れていて、その流れが早かったらしい。だから大陸との間に行き来がなかったんです。それが台湾を台湾たらしめた最大の要因だったということです。

飯坂  大陸からすると、わざわざ行くメリットも感じなかったんでしょう。そもそも海に出ようともほとんど思わなかったわけだし。

運営者 ポルトガル人は、台湾の近くにある澎湖諸島に拠点を置いて貿易を始めます。
 やがて1624年に東インド会社のオランダ人がやってきて、高雄に上陸します。そしてポルトガル人はマカオに去りました。その2年後、こんどはスペイン人が島の北の方に入ってきました。そしてご存知の鄭成功が明末に、清との戦いに敗れて大陸から2万人連れて上陸しました。鄭成功はオランダ人をほっぽり出して、2年間台湾を支配しました。これは、「国姓爺合戦」のもとになった話です。わたしは歌右衛門がやっているのを国立劇場で観たことがあります。
 鄭成功は半分日本人ですから、大陸反攻の援軍を徳川幕府に求めました。このとき応援要請の船で、隠元も日本にやってきました。インゲン豆が食べられるのは鄭成功のおかげです。でも徳川幕府はオランダに遠慮して出兵しなかった。
 その後は210年間清に支配されたわけですが・・・。

淡水の紅毛城は東インド会社北端の砦淡水の紅毛城は東インド会社北端の砦飯坂  朝貢をしていただけなんでしょう。

運営者 こういうことらしいですよ。さっきの黒潮の流れが強かったので、船で上陸しようとしても大半は流されてしまって、3割くらいしか台湾にたどり着けなかったらしいです。
 だから清朝政府は漢民族の男しか台湾に派遣しませんでした。女性は行かせなかったそうです。だから今は原住民と呼ばれている平埔族(へいほぞく)は、210年間に漢民族と混血をした人たちなんです。それから高砂族とか、もともと住んでいた少数民族がいるじゃないですか。日本統治時代は9族群と言われていたのですが、戦後DNA鑑定をしてみて13族群あることがわかったそうです。これが原住民族ですよね。
 さらに戦後、蒋介石が外省人を100万人連れてきたのだそうです。その3つの層に台湾の国民は分かれています。

 清朝は210年間台湾を支配したのですが、彼らが台湾省を置いたのは実は1885年だったりします。つまりそれまでの200年は、清は台湾を放置してたということなんでしょうね。
 そして1895年に日清戦争で日本が勝って、下関条約で台湾を割譲されてその後50年間日本が台湾を支配することになります。日本の最初の植民地です。

飯坂  そうですね。清の側からすると、当時の台湾なんて失ってもそんなに痛くなかったでしょうね。

運営者 なんせ放置プレーですから。

b.pnga.png