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自由を犠牲にした温暖化対策は、人間の本質に決定的に反する

手塚宏之 代表取締役名誉相談役

ゼノン6.JPGサン・ゼーノ ・マッジョーレ教会

手塚 これは非常に大きな問題で、クラウス大統領は「自由を犠牲にして地球温暖化対策を行うことは、人間の存在の本質に決定的に反した行いである」と言っています。なぜなら人類はその尊厳として、他のあらゆるものを犠牲にしても自由を優先すべきだからだと。

運営者 プラハの春とビロード革命をやった国の現職大統領が「自由」について語ると重みがありますね。

手塚 トップダウンで生き方を押しつけられる世界に存在するということがいかに悲惨か、人類の本来あるべき姿から反するかということを二世代、三世代にわたって経験している重い言葉だよね。

運営者 経験してる経験してる。

手塚 これは日本にいる人はほとんど気がつかないことだけど、傾聴すべき問題意識だと思うよ。

運営者 その話をもう少し広げるとすると、この前イタリアに遊びに行ったんですが、古代ローマから現代まで彼らが繰り返してきたことは何かというと、貴族と民衆という階級対立を背景にしつつ、少数の人間が政策決定を行う王政や寡頭政、独裁制の方がよいのか、それとも多数決の方が良いのかということなんですよ。
 独裁は絶対的で、共和制は何となく自由の範囲が大きそうなイメージがありますよね。
 でも共和制であったとしても、古代ローマは独裁官制度を持っていたし、ベネチア共和国は十人委員会という決定機関を作っていた。ベネチア人は多数決を信じなかったわけです。
 とはいえ僕らの教育から行くと、日本国憲法の精神では、多数決が常に正しくあってほしいと望むもんですよ。だけど情報の非対称性というのががあって、有権者や意思決定者全員が同じ情報を知るということが決定的に不可能なのであれば、多数決には多かれ少なかれ欠陥が潜んでいることは間違いがありません。
 とすると、少数の人間に情報を集めて高度な政治的決断を行うという方法も見捨て難いなと。そういうところであいかわらず人類は揺れているわけです。

手塚 僕のイメージだと、どういう場合にその手法を使うかによって違うんじゃないのかな。
 古代ローマでもベネチアでもそうだったと思うんだけど、相手がほぼ同じ能力、知識を持ちながらまったく異なる価値観を持って対立しているような場合、いいか悪いかは別にして、おそらく寡頭制や独裁制のほうが勝つでしょう。なにしろ意思決定が速くできるわけですから。

運営者 中国政府がやってるのはそういうことなんですよ。

手塚 だけどこの話の前提は、どちらが正しいのかわからない異なる価値観を奉じている対等な人間同士の集団が敵対したケースであって、いま我々が話している地球環境問題の対象は、地球とか環境とか、ある意味、空間的にも時間的にも人知を超えた自然なんですよ。なおかつこれは目に見えない敵である。こちらの下す判断が絶対正しいという根拠が希薄なのです。
 「化石燃料をどんどん燃やすと温室効果ガスが発生するから地球が温暖化する可能性がある」というのは立証された事実です。
 しかしながら、地球というのは物理学的に言うと平衡系なので、どこかで不均衡が生じるとそれを緩和しようとするシステムになってるんです。だから大気にCO2が増えると、そのかなりの部分を海が吸収するといった自己調整機能が地球には備わっています。



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