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台湾民政長官 後藤新平の阿片漸禁策   ◆「人間力」エピソード集


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 人の行動を変えたいたいときは、いたずらに禁止強制するよりも、時間をかけて考え方から変えさせたほうがよいこともある。

 1895年、日清戦争に勝利を収めた日本は、下関条約で清国から台湾の割譲を受けた。台湾は当時、清国の「化外の地」とされ、衛生状態もとても悪く、住民の平均寿命は30歳程度だった。またイギリスがインドから輸出していた阿片吸引の悪習慣も広がっていて、これも住民の健康を損なう一因となっていた。下関条約の調印に臨んだ清国の全権李鴻章は、「台湾の阿片には手を焼きますぞ」と捨てぜりふを残したという。

 日本は最初の植民地である台湾の経営に意欲的に臨んだ。そして民政長官として阿片撲滅に挑んだのが、のちに東京市長、満州鉄道総裁、鉄道院総裁などを務めた後藤新平である。後藤はもともと医師であり、ドイツに学んだ後、政府にざん新な阿片対策を建白してこれが受け入られ、桂太郎・伊藤博文とともに台湾を視察発して、1898年児玉源太郎総督の抜てきにより台湾に台湾に赴任した。

 阿片に対しては清国政府もつくづく手を焼いており、禁止政策をとったところそれが阿片戦争の原因になったのは有名な話である。後藤は台湾の阿片を禁止した場合、それでなくとも住民たちの暴力的な抗日運動に悩まされているのに、さらに大変なことになるだろうと考え、まったく逆の方策を打ち出した。

 まず阿片は、台湾総督府専売局が扱う専売制とし、高額の輸入税をかける。そして阿片を売る対象は阿片中毒患者のみとし、政府より阿片吸引免許を発行して、通帳を持つ者のみに阿片特許薬舗で喫烟用として売ることとしたのだ。そして新規の通帳は一切発行しないこととした。つまり新しい阿片中毒患者は認めないということである。
 さらに輸入税の税率を徐々に上げていき、阿片吸引者を減らしていった。阿片漸禁策である。

 この結果、1906年の専売局の阿片の収益は439万円となり、樟脳の収益492万円を下回った。阿片輸入税は、台湾の衛生事業の資金などに充当された。そして1945年には、阿片吸引免許の発行を全面停止し、50年近くをかけて台湾から阿片を追放したのである。

 後藤新平は、短時間に強制するのでなく、長い時間をかけて人々の行動に染み付いた習慣を変えていくのを待つという、統治者に相応しい人間力を持っていたのである。
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人間力とは、「大人になること」と見つけたり













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