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たいまつと鬨の声だけで城を取った武田信玄   ◆「人間力」エピソード集

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 『孫子』にある通り、戦わずして勝つが上策なのは当然である。自分が優勢であれば、最小のコストで勝つためにどのような策をとることができるだろうか。

 父親を追放して甲斐の国主となった武田信玄は、隣国信濃の守護職小笠原長時や諏訪頼重などと小競り合いを続けていた。まず諏訪家の内紛に付け入って諏訪頼重を滅ぼし、さらに信濃国内の平定を続け、塩尻峠の戦いでは小笠原軍に大勝する。

 1550年4月、信玄は満を持してして小笠原領に侵攻したが、すでにこの時小笠原長時には、信玄に抵抗する力は残っていなかった。信玄は3000の兵で長時の立てこもる林城へと歩みを進めたが、すでに住民たちは小笠原を見限り、武田軍を歓迎していた。そこで信玄は無駄な損害を出さずに林城を落とすべく策を練った。

 まず日没を待って、全軍で林城の小さな出城を攻めた。出城に立てこもっていたのはたった50名だったので武田軍にかなうはずもなく、城を守っていた小笠原兵は先を争って逃げ出した。武田軍はあっさりと手に入れたその出城に火をかけた。さらに武田軍全員が手に手に2本のたいまつを持ち、大きくかざしながら鬨の声を上げたのである。
 天空を焦がす火の群れは林城からもよく望むことができた。それは林城に立てこもっている兵士たちの目に、あたかも数万の大群が押し寄せてきているかのように映じたのである。林城の上兵たちはこれを見て「かなうはずがない」と恐れおののき、そろりそろりと逃げ出し、やがては雪崩を打って逃げ出した。

 城主の小笠原長時は、「この城に3カ月ほどろう城していれば、味方が武田のほかの所領を脅かすので、信玄は撤退するに違いない」とタカをくくっていたのだが、その耳に「城兵の半分が逃亡しました」という報告が届く。このままでは討ち死必至なので、長時は信濃守護職代々の本拠地を泣く泣く去ることになってしまったのであった。
 本城の林城が落ちたので、その周囲の支城を守っていた兵士たちも次々と城を捨てた。こうして信玄は干戈を交えることもなく勝ち鬨とたいまつだけで現在の松本市周辺を手に入れたのであった。

 武田信玄は自分の優勢を過大に相手の心理に刻みつけることによって、直接対戦せずとも、相手の戦意を喪失させる人間力を持っていたのである。
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人間力とは、「大人になること」と見つけたり













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