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伊達正宗 まな板の上のコイの戦い方   ◆「人間力」エピソード集


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 自分が逆らうことができない相手に、とんでもない勘気を被った場合、どのようにすれば許してもらうことができるだろうか。

 1589年12月、豊臣秀吉は小田原北条氏の追討令を全国の大名に通知した。東北の覇者であった伊達正宗も参陣せざるを得なかったのだが、密かに北条氏と通じていた政宗はなんとたった100騎を率いて領地を出立し、翌年の4月に小田原につく約束がさんざん大回りをして、小田原に着いたのは6月5日のことであった。大変な遅参である。

 当然厳しくとがめられるはずだったが、徳川家康が仲裁に入りその場は事なきを得た。秀吉は衆目の中で持っていた杖で正宗の首筋をたたき、「もう少し遅れていたらこの首はつながっていなかっただろう」と尊大な態度で言ったという。
 その後政宗は帰途に就き、小田原城は7月5日に落城した。

 秀吉はその足で軍を率いて正宗が待つ宇都宮城に入った。政宗にとっては、小田原攻めへの遅参、不参加を理由として、所領を取り上げられてもおかしくない状況である。そこで正宗は先手を打った。
 秀吉の前に、大谷吉継が大きなつづらを2つ持ってきた。「それは何んじゃ?」とたずねる秀吉に、吉継は、これは伊達政宗が殿下のおしおきの参考にと持参してまいりました、中身は、一方は伊達家旧来の所領の絵図面、目録、各村々の耕地段別、年貢割を記した書類。もうひとつは政宗が後から獲得した旧芦名領(会津と仙道南部)についての書類一切です。これをお引き渡しするので、殿下のお心のままに処置下さいとの言上でした。まことに殊勝な態度です」と答えた。

 秀吉は、「正宗め、先手を打って、まな板の上のコイでふんぞり返ったか。まず旧芦名領のほうの箱を開けてみよ」と吉継に命じた。吉継が中身を開けてみると、地図から収穫の石高、領民の数、職業別の人別まできちんと整理されて収められていた。吉継が感嘆の言葉をもらすと、秀吉は「たわけめ、それほど内懐が政宗に読まれていては、後釜に座った領主はやりきれぬわ」と声をあらげた。

 吉継がもうひとつの伊達家旧来の所領の書類が入った箱を開けようとしたとき、秀吉は「ちょっと待て」と制した。
 「正宗のやつ、わしがこの箱を開けるようだと、余を気の小さい男だといって笑うつもりであろう。もうひとつの封は切らずに、そのまま持って帰って正宗に渡してやれ」と吉継に命じたのである。こうして秀吉は政宗の小田原の役遅参の罰として旧芦名領を取り上げたが、伊達家の旧領自体は安堵されたのだった。箱を2つに分けた正宗の知恵の勝利だったのである。

 伊達政宗は相手に完敗しても、決して全面降伏せず、相手の気象を読んで被害を最小限に食い止める工夫をする気持ちの余裕を持っていたのである。
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人間力とは、「大人になること」と見つけたり













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