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石田三成の三献茶   ◆「人間力」エピソード集


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 気遣いによって相手を喜ばせるにはどうすればよいだろうか
 石田三成はそうしたエピソードに富んだ武将である。最もよく知られているのは、豊臣秀吉との出会いのエピソードだろう。
 近江の出で、家が貧乏だった石田三成は、寺に小姓として預けられていたのだが、あるとき鷹狩の休息のためにこの寺を訪れた秀吉は、のどが乾いたので寺に小姓に「茶をくれい」と下命した。
 小姓であった三成は、まず最初に大きな茶碗に七、八分のぬるめの茶を立てて秀吉に献上した。秀吉はこれをぐっと飲み干ししてのどの渇きをいやし、「もう一杯くれ」とおかわりを所望した。そこで三成は、今度は前よりも少し熱くして茶碗に半分ぐらい注いで献上した。秀吉はこれを呑んで、「前よりも少し熱いお茶だな」と感じ、「試しにもういっぱい頼んでみよう」と考えた。そこで次に三成は、今度は小さな茶碗に熱い茶をたてて持ってきた。
 秀吉はこれを飲んで三成の気ばたらききを感じ、寺の住持に頼んで三成をもらい受け、近侍として採用したのである。

 その三成が五百石取りだったころ、彼は「自分は行政職としての才能はあるが、武人ではない」ことをよく認識していたので、「なんとかよい家来を得たいものだ」と考えていた。そのころ渡辺新乃丞という仕官していない侍が有能であると知れ渡っていたが、だれに「召し抱えたい」と誘われても新乃丞は、「自分は十万石扶持でなければ仕官しない」と公言していた。
 ところがである、この新乃丞が三成の最初の家臣となったという話が秀吉の耳に飛び込んできた。そこで秀吉は三成に、「そちはいったい何石で新乃丞を召し抱えたのか?」とたずねると、三成はしれっとして「五百石で召し抱えました。自分は今は新乃丞の居候になっています」と答えたという。

 同様に、三成が出世して水口四万石が与えられたころ、秀吉が「今度は多くの家臣を召し抱えたであろう」とたずねたところ、三成は、「いまは島左近ひとりを召し抱えております」と答えた。島左近は豪傑としてその名を知られ、多くの武将たちが欲しがった人材であったので、「四万石程度では島左近は召し抱えられないであろう」と秀吉が言うと、三成は「四万石のうちの二万石を島左近に与えております」と平然と答えたという。これには秀吉も驚いて、島左近を呼び寄せ、「三成をよろしく頼む」と手ずから羽織を与えて頼んだのだった。
 三成が佐和山城の城主となったとき、島左近に石高の加増を申し出たところ、左近は「自分は十分もらっているので、その分を他の家臣に分け与えてほしい」と言って加増を固辞した。そこで三成は、落ちぶれて隠居していた左近の父親を招き出して召し抱え、彼の気持ちに応えたという。
 上下の身分差が絶対的であった戦国時代に、家臣を自分と同等以上のものとして扱い、それでいて秀吉への絶対的な忠誠を尽くした石田三成は、人一倍家臣に恵まれることとなったのであった。

 しかし三成は1600年9月15日の天下分け目の関ヶ原の戦いで一敗地にまみれ、近江伊香郡古橋で捕縛された。そして10月1日に、豊臣方の有力な武将であった小西行長・安国寺恵瓊とともに京の町を引き回され、六条河原で斬首された。
 刑場に引き出される途中、三成は「喉がかわいたので茶をくれ」と警護の兵士に所望した。茶などないので、警護の者が代わりに柿を与えようをようとしたところ、三成は「柿は腹に毒だから」と言って拒んだ。「もうすぐ首が落ちるというのに身体の心配をするとはばかばかしい」と周囲のものが笑ったところ、三成は「私には大義があるから、命がなくなる瞬間までは再起にかけるのだ」と言い放ったという。
 石田三成は一本筋が通った気遣い、心遣いを見せる人間力を持っていたのである。
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人間力とは、「大人になること」と見つけたり













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