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「瓶割り柴田」の剛勇   ◆「人間力」エピソード集


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 ピンチの時にバラバラになりそうな部下やチームメンバーの気持ちをひとつにして危機を突破するためにはどうすればよいだろうか。

 柴田勝家は信長麾下の叩き上げ武将として多くの武功を上げたが、武骨なことで知られていた。信長はその武骨さを愛し、自分の妹であるお市の方を妻として与えたほどである。
 1568年、織田信長は上洛を開始。京都への途上にあった近江の六角承禎、義弼父子を蹴散らしたので、六角氏は甲賀に雌伏することになる。

 やがて上洛した信長と将軍足利義昭が対立し、義昭は諸将に呼びかけて信長包囲網を形成する。そこで1570年、六角承禎は旧領を回復しようと、旧臣を集めて南近江でゲリラ的に織田軍と戦った。この時六角承禎が5000人あまりの兵で包囲した、南近江の長光寺城には、柴田勝家が数百人の兵とともに立てこもっていた。

 この城を攻めあぐんだ六角承禎は、城の水の手を断った。長光寺城は山城で、本丸、二の丸、三の丸は山頂に配置されている。水源を絶たれてしまっては持ちこたえることはできない。
 「そろそろ城内の水がなくなっただろう」と考えた六角承禎は勝家に使者を送り、場内の様子を探らせたところ、長光寺城内に水不足の気配はなく、馬の体を水で洗っていたほどだった。驚いた使者は、「柴田勢は水に困っていません」と報告したが、実はこれは勝家の偽装で、長光寺城内の兵士たちは飲み水にもこと欠いていたのである。
 このままでは全滅は免れない。勝家は6月23日を期して城を打って出ることとしたが、志気の緩みは否めない。

 そこで勝家は、最後に残った水瓶の前に城兵たちを集め、全員に水を振る舞ったうえで自分も飲み、最後になぎなたの柄で水がめをたたき割ってしまった。つまり、「打って出て敗れたとして城に戻ってきても水がないから死ぬしかない」という背水の陣を宣言したのである。この勝家の姿に兵士たちは揮い立った。

 23日未明、柴田勢は雪崩を打って山を下り、六角軍の本陣をついた。不意をつかれた六角軍は総崩れとなり、その後別の城に立てこもったものの信長軍に敗れて降伏することになる。

 柴田勝家は、城兵たちに「生きるためには前に進むしかない」という覚悟をさせて、一致団結させて全員のパワーを発揮させる人間力を持っていたのである。
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人間力とは、「大人になること」と見つけたり













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