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『米百俵』 常在戦場   ◆「人間力」エピソード集


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答えは常に自分の中にある。ただ見えていないだけなのだ。


 相手と利害が対立している場合、こちらの道理が通っていたとしても、先方が感情的になっていてなかなか折れてくれないこともある。そんなときはどうするべきだろうか。説得のひとつのパターンを見せてくれているのが、文豪山本有三の戯曲『米百俵』のエピソードだ。実業家の斑目力曠が私財を投じて「米百俵/小林虎三郎の天命」(島宏監督脚本)として映画化した。

 徳川家から朝廷への大政奉還が終わっても、日本中のすべての藩が明治新政府に帰順の意を示していたわけではなかったので、政情は極めて不安定だった。特に新政府は東北地方の藩が敵対的であるとして、軍隊を差し向け平定を図った。長岡藩は徳川家康の重臣、牧野忠成の子孫が治めていたので、明治維新政府は長岡藩を徳川家の味方と決めつけて長岡戦争がぼっ発。長岡軍は政府軍の勢いに押されて負けてしまう。

 その結果、長岡藩は領地を取り上げられて四分の一に減封され、士族でも一日に三度の粥すらすすることができない窮乏状態に追い詰められた。見かねた長岡藩の分家である三根山藩は、一八七〇年五月、長岡藩に見舞いとして百俵の救援米を送ってきた。
 当時、長岡藩の文武総督、大参事として藩政を仕切っていた小林虎三郎は、この救援米を藩の将来を見越して教育を行う学校建設のために使おうとする。
 「国が興るのも、町が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ」

 これに対して長岡藩士たちは、なぜこんなに困っているときに虎三郎が学校など建てると言い始めたのかさっぱり理解することができない。ある日、虎三郎の屋敷に一〇名あまりのいきり立った藩士たちが押しかけ直談判に及んだ。

 「あの米は大参事ひとりに送られてきた米ではなかろう」「そうだそうだ。藩の重臣だからといって気ままな振る舞いは許しませぬぞ」「米はわれわれのものだ。早く分配してくれ」
 口々に虎三郎を責めたてる。談判は日が暮れても続き、ついに説得の言葉を失った虎三郎は、
 「最後に、貴公らにただひとつだけ見せたいものがある。それを見たうえで、いかようにも気のすむようにされるがよい」
 と言って、下男にもって来させた掛け軸を床柱にかける。その掛軸に書かれていた「常在戦場」という言葉を見た瞬間に、藩士たちは息を飲んだように居住まいを正し、一斉に平服した。

 「さておのおの方、この掛け軸をよもやお忘れではあるまい。常に戦場にあり。この文字、この言葉は、長岡藩の者である限り物心がついてからは必ず目にし耳にし口にしてきたものだ。申すまでもなくこれは、三州主君の御壁書きである。この定めは、三州(三河)以来のご家言として三〇〇年来、とりわけ重い掟とされてきた。
 常に戦場にありとは、戦のない折にも常に戦場におる心で、いかなる刻苦欠乏にも耐えよというお言葉ではないのか。戦場にあっては、つらいとかひもじいとかいってはおれんのだ。武士たるもの、ことに長岡藩士たるもの、食えないなどとは何事か」
 一同言葉もない。恐懼してすすり泣く。

 「おのおの方、かしらをあげい。かしらを上げてこの掛け軸をとっくりと拝観されい」
 だれひとりとして表を上げるものはいない。
 「今のお主らには拝観できまい。この一字一句の中には、当家のご先祖とご老職とが一体になっておる。ご先祖さまとご老職の前でさっきのようなこと申してみなされ。米を分配しろと申してみなされ」
 一同、平服したまま凝り固まって、ぴくりとも動かない。

 「ひとつのことをやり遂げるためには、苦労はつきもの。人間、苦しみにどれだけ耐えることができるかによって初めて、その人間の値打ちがわかるというもの。皆が一体となり、苦しみに打ち勝ってこそ、国も町も立ち直るのだ。常に戦場にありとは、そこのところを申されたのだと、わしはつねづね拝察しておる」
 あまりの恥ずかしさに、武士たちは崩れ落ち結び泣く。

 「わしは、家中のものが今どれくらい困っているのか知らぬものではない。貴公らの苦しみは十分察しておる。しかし、藩の立て直しには、まず土台から築いていかねばならぬのだ。それまでは、苦しいだろうがどうか辛抱してほしい。虎三郎一生の願いだ。どうか耐えてくれ。これ、この通り。お願い申す」
 と深々と一同に頭を下げる。

 「この百俵の米は、今でこそ百俵だが、やがては、一万俵になるか、百万俵になるか計り知れないものがある。いや、米俵などでは比較のできない尊いものになるのだ」
 藩士たちは、「先刻からの話で、拙者目が覚めました。ただただ、恐れ入ったと申し上げるほかござらん」と一礼し、恥ずかしさのあまりまた泣き出してしまうのだった。 

 長岡藩はこの米百俵を元手にして、六つの教室と教員室、小使室、演武棟を備えた、その後の学校様式を先取りした国漢学校を設立し、そこから多くの有為の人材を輩出した。
 この「常在戦場」の掛け軸は、テレビドラマの水戸黄門の印籠のように盲目的な権威への服従を強要するものとは少し意味合いが異なることに注意が必要だ。小林虎三郎は、藩士たちが心の中で共有している信条を、「常在戦場」の藩是を見せることによってまざまざとよみがえらせ、見失っていた自分自身を取り戻させたのである。そして「武士は社会のリーダーであり、率先して将来に備える努力を続けなければならない」ということ思い出させたのだ。答えは常に自分の中にある。ただ見えていないだけなのだ。

 小林虎三郎は、利害が対立する相手に自分を取り戻させ、何が正しいのかを思い起こさせたのである。
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人間力とは、「大人になること」と見つけたり













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