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徳川家康の「空城の計」   ◆「人間力」エピソード集


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闘いはつねにお互いの腹の探り合いである


 相手の反応を読み切れば、ときにはハッタリも有効な武器になる。
 兵法三十六計のひとつに「空城の計」がある。一五七二年、京都は織田信長の支配下にあったが、足利将軍は武田信玄に出兵を促し、信長の最大のライバルである信玄は二万五〇〇〇人の兵力を率いて京都を目指した。その前に立ちふさがるのは、信長と同盟している徳川家康である。

 家康は信長からの援軍を得て、一万の兵力で浜松城に立てこもっていた。しかし信玄の大軍はその横をあざ笑うかのように無視して通過していった。「追い討ちをかければ勝てるかもしれない」と踏んだ家康は、三方ケ原で武田軍に襲いかかった。しかしこれは家康を城から誘い出すための信玄の計略であった。家康はまんまとそのたくらみにひっかかったのである。

 三方ケ原の合戦で家康は散々に打ち破られ、這々の体で浜松城に逃げ帰ってきた。武田軍は追撃して浜松城を取り囲んだのだが、その浜松城の城門は大胆にも大きく空け放たれていた。武田軍はこれを見て、「何か策略があるに違いない」といぶかしんだ。
 家康は、「何か策があるのでは」と思わせると同時に、「信玄は京に急いでいるので、このつまらない城にかまっている暇はないだろう」と読んで空城の計を行ったに違いない。このとき武田の陣中では、信玄の息子の勝頼は城攻めを主張し、従軍していた真田昌幸は「小城ひとつに時間はかけていられない」と反対、信玄は「京に上った後に家康は手なずけられる」として、城を攻めずに浜松を後にした。これによって家康は命をながらえることができたのだ。

 この空城の計は、三国志の中でも諸葛亮孔明が使っている。魏に攻め込んでいた孔明は大敗を喫して二五〇〇の兵で城に立てこもり、魏の司馬懿仲達はその城を一五万もの大軍勢で取り囲んだ。
 そのとき孔明は、兵士を全員隠して旗も降ろし、城の門を開放して、自分自身は城門の上で優雅に琴を弾き始めたのである。仲達はこれを見て、「策士の孔明のことだ、また何かたくらんでいるに違いない」と兵を引きあげたのだった。
 戦いは常にお互いの腹の探り合いである。「自分がこう行動すれば相手はどう反応するだろうか」「自分がこう発言すれば、相手はそれをどう受け止めるだろうか」と考えて行動すれば、堂々と敵を欺く高等戦術も奏功する。

 家康は、相手に暗示を与えて自分にとって有利な結論を相手に出させたのである。
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