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昭和天皇のマッカーサー会見   「人間力」エピソード集

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人間の誠実さには、計り知れない力がある


 自分がぎりぎりのところまで追い詰められていても、相手に自分のすべてをさらけ出せば、相手の心に大きなインパクトを与えて活路を開くこともできる。それにより日本全体を救った劇的なケースを紹介しよう。

 一九四五年九月二七日午前一〇時、昭和天皇は黒のシルクハットにモーニングの正装で車に乗って皇居を出発し、アメリカ大使公邸に向かった。この日初めて、敗戦した日本の占領統治を行う連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥と会見するためである。
 連合軍にとって、このとき昭和天皇をどのように処遇すべきかは、大きな問題であった。連合軍諸国は「天皇を戦犯として裁くべきだ」と考えていたし、アメリカ政府も天皇を戦争犯罪容疑からはずすつもりはなかったのである。その一方で関東地方だけでも旧日本兵は三〇万人おり、もしも天皇を戦争犯罪者として裁いた場合には、彼らの多くが抵抗することも容易に想像できた。
 一方、昭和天皇や側近たちは、「ひょっとするとアメリカ大使館で拘束されてしまうかもしれない。そして裁判にかけられて死刑を宣告されるかもしれない。生きて帰れるかどうかわからない」という覚悟でマッカーサーの下に赴いたのであった。

 マッカーサーは、昭和天皇を出迎えることも見送ることもしないつもりだった。そうした礼をこの敗戦国の前の統治者に対してとる意思はなかったのである。
 大使館に着いて車を降りた昭和天皇は、次の間で側近たちと別れ、通訳官一人を伴ってレセプションルームでマッカーサーと対面した。まず最初に、この会見の二日後に新聞に掲載された有名な写真が撮影された。その後マッカーサーは戦争と平和について延々と大演説を始めた。演説が終わった一五分後に、マッカーサーは初めて天皇に椅子を勧めたのである。

 次の瞬間、マッカーサーは状況からみて昭和天皇が「自分の命を助けてほしい」と命乞いするだろうと考えていた。しかし昭和天皇の口から出た一言はマッカーサーの予測を完全に超えたものだった。
 「わたしは、国民が戦争遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、わたし自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねるため、お訪ねした」

 この言葉を聞いたマッカーサーは回顧録にこう記している。
 「わたしは、この瞬間、わたしの前にいる天皇が、日本の最上の紳士であることを感じとったのである」
 三五分間の会談が終わって、天皇はマッカーサーに案内されて控えの間に入ってきた。側近達は天皇が無事に戻ってきたことに安どした。そしてほんとうは天皇を見送るつもりなどなかったのに、つい見送りのために外に出てしまい、あわてて屋内に戻るマッカーサーの姿が目撃されている。

 この会談は、「戦犯天皇」に対するマッカーサーの考え方をまったく変えるインパクトがあった。一〇月末、アメリカ政府はマッカーサーに「天皇に対する裁判はアメリカの占領のために必要である」と通告した。それに対してマッカーサーは「天皇を葬れば日本国家は分解する。そのような事態が勃発した場合、最低一〇〇万人の軍隊が必要であり、軍隊は半永久的に駐留しなければならないだろう」と極秘電報を返信する。そこでアメリカ政府は「天皇の戦争責任は問わない」という方針を決定した。
 マッカーサーはこの後昭和天皇と一一回会談を行い、経済問題や食糧問題などについて語り合うことになる。この会談で見せた昭和天皇の勇気は、日本の戦後のスタート地点になったのだ。

 マッカーサーは後日、「あんな誠実な人間をわたしはかつて見たことがない。常識では語り尽くせない奥深い人間性を昭和天皇の言葉の中に聞いた」と振り返っている。
 極めて困難な状況の中で、自分の心の窓を最大限開いて相手を受け容れようとする昭和天皇の大きな包容力、これが敗戦の混乱に苦しむ多くの日本人を救い、戦後の日本を大きく前進させる力を与えた。

 昭和天皇の持つ誠実さは、圧倒的に優位な占領者の気持ちをも揺るがしたのである。

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